1989年 下半期-3 千里の道も京香ら一歩 【最終回】 |
その後どうなったんでしょうか?
"ギョーカイ"はミーハー少年を誘惑する言葉でしたね、逆さ言葉のギョーカイ用語とか。
楽屋落ちなんてのもとんねるずさんの得意パターンでしたね。
後に小室ファミリーでイメチェンします。
『ちょっと真面目に聞いてくれ、実はお姉ちゃんが誘拐されたから』
絶対にドッキリだと思ったから。
そしたら、マネージャーさんに『真面目に聞け!』って。
圧縮されて文字が見づらいので、要約も載せておきます。
【80年~84年】
70年代と80年代アイドルの違い。
「キャラが重要になってきた事と楽曲のレベルの高さ」(サンミュージック社長)
松田聖子さんを例にとると"ぶりっ子"と言うマイナスキーワードを逆手にとってのキャラ設定。
従来のアイドルサウンドに、ポップロック(※)を融合した音楽性の高さ。
(※財津和夫氏、大瀧詠一氏、細野晴臣氏ら。)
デビュー曲から化粧品のCFソングと言う言うメディアタイアップ。
当時としては斬新な80年型のプロモーションだった。
時代背景も味方した。
松田聖子さんのデビューの前後に70年代のトップアイドル、山口百恵さん、ピンクレディさん、
石野真子さんらが引退(解散)してトップアイドルが空席になっていた。
82年頃は大手芸能事務所が一斉にアイドルをデビューさせる。
注目は松本伊代さんが81年後半にデビューして成功した事。
ここで、楽曲、振り、コスチューム、キャッチフレーズ、ファンイベント、予約特典など、
翌春デビューするアイドルプロモーションのモデルができた。
82年組の多くは2曲目、3曲目からヒットし出すので、83年組はその煽りを食う。
従って、80~84年はアイドルの成功は隔年現象となる。
菊池桃子さんはメディアミックスのはしり。
デビュー前から特定雑誌のイメージガールを務め、継続的なグラビア展開、
雑誌企画の映画主演、デビューはCFタイアップと言う強力なプロモーション。
テレビドラマと連動したプロモーションが力を持ち始める。
斉藤由貴さん、南野陽子さん、中山美穂さん、浅香唯さんら。
おニャン子クラブについて。音楽業界の現場から。
(荻野目洋子さん、小泉今日子さんのレコード会社)
80年代中盤はテレビ局主導の時代。
売り方の計算が成り立たない反面、モンスターも出る。
美少女系とアーティスト系の流れが出てくる。
「アイドルが普通すぎる。正統派美少女路線へと後藤久美子さんをデビュー。
そして社会にムーブメントを起こすために『国民的美少女コンテスト』を開催。」
(オスカープロモーション)
「美少女とアイドルは重なり合わない。宮沢りえさんも美少女路線ではなく従来のアイドル路線。」
(雑誌編集者)
森高千里さんやWinkさん、プリンセス・プリンセスさんらアーティスト系アイドルの出現。
工藤静香さん、中山美穂さん、同性支持の強いアイドルがトップに出るのもこの時代の特徴。