1987年 下半期-1 おニャン子クラブ解散 |
翌年にソウルオリンピックを控えての企画本でしょうか。
話題にならなかったし、本屋で見た記憶もありません。
15年後くらいに、韓流ブームのタイミングでモーニング娘。さんの誰かが
韓流本を出版すれば、互いのブームで相乗効果があったかもしれませんね。
1986年5月発売「風のinvitation」
数ページに渡って後悔と反省をしている様です。
バラエティ番組とかで新田恵利さんとかがネタにしている話ですね。
「喉が渇いた」と言えばスタッフがジュースを買いに行くのが
本人も当時、大手新聞社に新聞一面で批判された事を反省しているそうです。
(下記の画像は関連記事)
私も毎日新聞さんの記事は、記者の感情の勢いに任せて書いてしまったと思っています。
記者の方は、国生さんや彼女の周りの大人に礼儀をわきまえる様に注意する程度で
止めても良かったと思います。
私はこの時の新聞はとってあるので、数十年後に家のどこかから出てくるんでしょうね。
ディレクター曰く、
「芸能界の95%のプロに、5%の素人が隙間を付いたから面白かったのに、
素人がメジャーになったのが敗因。」だそうです。
これは花の82年組からの流れですが、
当時はアイドルが"普通っぽい"のがウケる一つの要素でした。
しかし批判もありました、「普通(素人)っぽい=無芸」なんですよね。
例えばゆるキャラが主流になったらいけません、
おニャン子クラブさんの終末でアイドル界の流れが変わります。
視聴率3%未満で打ち切りで、おニャン子クラブさんも解散です。
無理な子には無理と諦めさせたそうです。
当時他の雑誌で読んだのですが芸能界を諦めさせるおニャン子に、
「お前の子供が大きくなった時、
今はおニャン子の皆さんもアラフィフで、
業界の先輩ディレクターの忠告には感謝してると思います。
その後の国民的アイドルグループより綺麗に終わったと思います。
一瞬でも頂点に立てた事を、とても運が良かったと思えれば良いですね。
五味岡たまきさんは短期間の在籍でしたが、
残念ながら記事中の子は2度とスポットライトは浴びれませんでした。
モー娘.さんもそうですし、AKBさんもそうなると思います。
次のデビューは杉浦美雪さんの予定だったそうです。
大騒ぎした後の一区切りって感じです。